「今王万歳!」「王様万歳!」
朱王殿は臣官の喜びに満ちていた。ついに若き今王が神に似せた形に姿を変える、成人の儀を執り行ったのである。王は成人すると神の座につく。故に神と同じ髪型、服飾となる。
長かった髪を耳元だけ残してそり落とし、耳には長くたらした金の耳飾りを、首には玉を付け、玉衣(たまき:七色に輝く絹のような布)をまとう。
十五歳のまだ幼さの残る王について、ひとり還俗した神官が進み出る。宰相楽章である。彼もまた、耳元だけ残して頭をそり、大きな衿のついた着物を着ている。
「我が王はついに成人なさった。この国が統一されてから、ちょうど一五〇年の本年。祖王祝祭の中日の今日! 祝わずにおれようか! 祝うべくして訪れた日である!」
臣官たちが歓喜の声を上げる。その声の波を、王も楽宰相も酔うように楽しむ。
「みなのもの、わたしは皆があって初めてこの座にあることを知っている。十五年前の不忠な秀弓によって、母の王座は脅かされ、国は乱れた。それを、ここまで平定させしんだのは、紛れもないみなであり、また、楽章のおかげである。
ここに、摂政楽章の大義を認め、楽章を宰相に任じる。また、その息子富山を中君に、娘星を妃に迎えることを宣言する」
偏った宣言に、一場がざわめく。楽章への過剰な謝意に、みなこう思ったのだ。――王は、楽章を怖れておられる――
「ありがたく存じます」
当然のような顔をして、楽章が頭をわずかに下げる。目はほくそ笑んでいるようにも見えた。
「王様、ありがとうございます」
富山が前に進み出て、深々と礼をする。彼は文官で、長いこと中央の指揮を執って来た。それが、今度は後宮と王をつなぐ役割を果たす中君である。これからの成人した王にとっては、実に身近となる役職である。逆に言えば、後宮を取り仕切る中君は、一つの権力者でもあるのだった。これから富山にとっては妹である星が後宮に入る。この事柄を考えても、中君の地位が持つ意味は大きい。
これを、本当に王が一人で考えたとは、誰も思わなかった。まぎれもなく楽章の息のかかった案である。
だが、楽章の意図しないことが起きた。
「だがな、宰相よ」
「は」
王の呼びかけに、まだ何かあったかと宰相の楽章が怪訝な顔をする。
「私にはしっかりとした後宮がないのだ。先代は女帝ゆえ、整備されておらぬ。何とかならぬか」
「は……。ただちに」
この王は、意外に女好きであると、楽章は感じているようだった。娘以上のおなごがいるものかと、楽章は気を慰める。
「たのむぞ。お前の娘も、じき上宮するのだ。そうむくれるな」
「滅相もない」
はしっこいな、と楽章は舌打ちする。
「一つ頼みを聞いてくれ」
「何なりと」
「美しいおなごが、黒都にいるという。百香の美姫と呼ばれているそうだ」
それみたことか。楽章は頭の中で絶叫した。
「わかりました。人をやりましょう」
だが、にっこりと楽章は応えた。娘がいるのは黒都。あの、黒都なのだ。
「父上、良いのですか。あれはみおなご(自分の女)として迎えるおつもりですぞ」
王殿をあとにして、富山と楽章は連れ立って歩く。すでに夜の気配がする。冷えて来ており、二人の息は白い。
「富山。そなた、星が負けるとでも思うのか」
「滅相もございません」
立ち止まって富山は怖れたように頭を下げる。
「星は皇后に立つべく生まれたのだ。その気でいれば、わしがなんとでもしよう」
「父上」
「宰相と呼べ」
「は……」
いよいよ頭をふかぶか下げる富山を残し、楽章は立ち去った。風が吹きすさび、富山の前髪を白い額になびかせる。唇が、わずかに切れる。
(父上は、自信がおありなのだ。さもありなん、乱れた国をここまでまとめたのは父上ご自身。東西南北、主要都市はすべて陥落させた。あとは黒都。そう、黒都だけなのだ)
黒都とは、国の中央を流れる朱河のほとりにあるかつての都で、長い戦いで荒れ果て、先王は遷都。その遺構に反乱分子が居着き、今は黒都と呼ばれている。
この黒都に、百香の美姫がいるのである。つれて来るには、命がけだ。
「さて、適任者は」
ぶつぶついいながら、富山は執務室に入る。王殿は朱と金の豪奢な柱作りだが、こちらは質素に黒漆で出きた屋殿だ。
入ると、内吏たちがふかぶか礼をして並んで待っていた。
「新しく中君になった楽富山だ。後宮と王を取り次ぎ、管理する職である。諸君にはまず、任務がある。後宮に入れる娘を集めるのだ。それで」
列の中央を進み、一番奥まで行くと、富山は机に腰掛けた。猫のようなしなやかさで、軽々と。
「龍平君。君は試験を主席で通ったそうだね。ひとつ、頼まれてくれぬか」
「は」
進み出たのは、眉目秀麗な内吏。長い髪を後ろの高い位置で結び、耳には主席の証である玉を付けている。
「黒都に行き、百香の美姫を探し出し、つれて来るのだ」
「は」
「危険だが、命を惜しまず、行ってくれるか」
「ははっ」
龍平はちらりとも富山を見ることなく、黒い瞳をただ足元に向けて頭を下げる。
(はっ、ばかが)
富山はそう思ったに違いない。なぜならこれは、「失敗してほしい作戦」で、「龍は死んで帰ってこなければいい」と思っているに、相違ないのである。
「龍平君、君は一度実家に帰ってよい。命がけだからな」
「ありがとうございます」
「実家はどこだったかな?」
「ションルンの近くです」
「そうか? てっきり。いや、なんでもない。気をつけて行きたまえ」
てっきり、違う地方の者かと思っていたのだが。
富山はそう言いかけたが、飲み込んだ。